世界大百科事典(旧版)内の大森代官の言及
【石見国】より
…こうして石州三分支配体制が確立されたが,その領域は錯綜し,領界の変更もしばしば見られた。石見銀山御料は奉行所(のち代官所)を大森におき,初代大久保長安から75年(延宝3)まで石見銀山奉行,以後幕末まで大森代官が支配した。浜田藩は古田時代に亀山に築城し城下町も形成されたが,以後藩主の更迭がはげしく,中でも1836年(天保7)竹島事件に関連して藩主松平康任の老中罷免,奥州棚倉への所替は領民に大きな衝撃を与えた。…
※「大森代官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」