大永の五月崩れ(読み)たいえいのごがつくずれ

世界大百科事典(旧版)内の大永の五月崩れの言及

【伯耆国】より

…1524年(大永4)尼子経久は大挙して伯耆に進入し,たちまちのうちに伯耆一円を制圧した。この〈大永の五月崩れ〉により,倉吉打吹城と山名澄之や北条堤城の山田氏をはじめ南条氏,小鴨氏,行松氏など伯耆の国人・土豪層はそのほとんどが没落し,本貫地を離れて各地に流浪した。尼子氏の没落後,再興した羽衣石南条氏が東伯耆3郡を,また尾高城に拠る毛利氏の部将杉原氏が西伯耆3郡をおさえ,さらに81年(天正9)の鳥取城落城と85年の豊臣,毛利間の和平により,あらためて東3郡は織田方南条氏,西3郡は毛利方吉川(きつかわ)氏に預けられることとなった。…

※「大永の五月崩れ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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