世界大百科事典(旧版)内の大津柴屋町の言及
【遊郭(遊廓)】より
…江戸は徳川氏になってから1617年に傾城町の建設が認められたもので集娼制はいっそう明確であり,57年(明暦3)に浅草の新吉原へ移転したものが幕末を経て昭和まで存続した。このようにして各地に設置された公認遊郭の主要なものを示せば,前記3遊郭のほか,伏見撞木(しゆもく)町,奈良木辻(きつじ),大津柴屋(しばや)町,駿府弥勒(すんぷみろく)町,敦賀(つるが)六軒町,越前三国,佐渡鮎川(相川)(あいかわ),堺高須,同乳守(ちもり),神戸磯ノ町,播磨室津,備後鞆(とも),安芸宮島,同多太海(忠海)(ただのうみ),石見温泉津(ゆのつ),下関稲荷町,博多柳町,長崎丸山などで,《洞房語園(どうぼうごえん)》(1720)は計25ヵ所を挙げている。それらの中には江戸時代前期にすでに衰微したものもあり,諸書の伝える遊郭は地名,件数ともに多少の異同があって一致せず,設置の起源なども確定できないものが多い。…
※「大津柴屋町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」