世界大百科事典(旧版)内の大漢国の言及
【陳友諒】より
…沔陽(べんよう)(湖北省)の漁家に生まれ,県の小役人となったが,のち徐寿輝の天完国に参加し,1357年(至正17)直属の長倪文俊をたおして実権を握り,その勢力は江西一帯から福建,浙江におよんだ。60年徐寿輝を殺し江州を都に大漢国をたて皇帝となったが,朱元璋(明の太祖)との数度にわたる覇権争いの末,63年鄱陽(はよう)湖の戦で敗死した。子の陳理が位をついだが,64年朱元璋に下り,大漢国は滅んだ。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」