大理刀(読み)たいりとう

世界大百科事典(旧版)内の大理刀の言及

【大理】より

…宋朝が,金沙江を境として,雲南征服への意欲を示さなかったため,大理国は外部勢力の脅威をうけずに国内の平和を維持することができ,後理国になってからは宋朝にしばしば遣使入貢し,1117年(文治8)には雲南節度使大理国王に冊封された。この地方の特産品として〈大理刀〉と呼ばれた宝刀や雲南馬が宋の朝廷に献上され,象の皮で作られた甲冑たる〈象皮冑〉ともども広西に設けられた官営の博易場で交易された。大理国は南詔時代の仏教文化を継承してますます興隆せしめ,歴代の国王は仏寺の建立と仏像の鋳造に尽力し,しばしば宋から大量の仏典を求め,退位後は仏門に帰依する者が多く,民間では貧富を問わずどの家にも仏堂があり,老若を問わず数珠を手にしていたという。…

※「大理刀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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