世界大百科事典(旧版)内の大石田船の言及
【最上川】より
…上流は左沢(あてらざわ)(現,大江町)が終点とされたが,94年(元禄7)米沢の御用商人西村久左衛門らの開削によって置賜(おきたま)盆地にも通じるようになった。清水,大石田,船町が最上川の三河岸として早くから特権を維持したが,享保年間(1716‐36)に寺津(現,天童市),本楯(もとだて)(現,寒河江市)が新しく河岸として認められた。最上川の川船の大部分は,酒田船と大石田船を中心とする最上船に分けられ,いずれも商人所有の町船である。…
※「大石田船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」