大織冠廟(読み)たいしょっかんびょう

世界大百科事典(旧版)内の大織冠廟の言及

【多武峰】より

…多武峰が一躍著名となるのは,藤原鎌足の墓所が営まれたことによってである。鎌足の子の僧定恵(じようえ)は,678年(天武7)ころ(異説もある)亡父の遺骸を摂津国安威(あい)山から当山に移して十三重塔婆(大織冠廟)を建立したといわれ,ついで塔の南に3間四面の堂を建てて妙楽寺と号し,さらに塔の東に方3丈の聖霊院を建てて鎌足の木像を安置したという(《多武峯縁起》《多武峯略記》)。藤原氏の発展とともに寺観が整えられ,寺領荘園の設定もすすめられた。…

※「大織冠廟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」