大織冠破裂(読み)たいしょっかんはれつ

世界大百科事典(旧版)内の大織冠破裂の言及

【多武峰】より

…国人と関係の深い多くの小院も建立され,多武峯寺は,南大和の一大勢力を形成した。さらに天下の変事に先立って山上が鳴動し鎌足の木像が破裂する(大織冠破裂)という信仰が生まれ,898年(昌泰1)以来1607年(慶長12)まで37回破裂し,そのつど藤原氏氏長者(うじのちようじや)に強訴(ごうそ)などを行い,多武峯寺は藤原氏や朝廷に対しても独自の位置を占めた。1585年(天正13)豊臣秀吉は多武峯寺の武装を解除して鎌足木像も郡山城下に移したが,90年帰山を許した。…

※「大織冠破裂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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