世界大百科事典(旧版)内の《大観本草》の言及
【証類本草】より
…本来は北宋末の1090年(元祐5)ころに成都の医師,唐慎微が《嘉祐本草》と《図経本草》を合し,それに約660の薬と多くの医書,本草書からの引用文を加えて作った《経史証類備急本草》の通称である。しかし《証類本草》の語は未刊のまま終わったらしい唐慎微の書に,1108年(大観2)に艾晟(がいせい)がそれに多少の手を加えたものの刊本である《大観本草》と,さらに1116年(政和6)に曹孝忠らがそれを校正して刊行した《政和本草》を加えた,内容的にほとんど同一の3書の総称として用いられることの方が多い。1740余の薬物について記載した書で,前代の書の内容をそのまま伝えているということもあって,宋以前の薬物を研究する時には欠くことのできないものである。…
【本草学】より
…これらはいずれも《神農本草経》を出発点として,前代の書の文はそのまま残し,新しい薬品と新しい知識を付け加えるという方針をとった。《政和本草》とそれとほとんど同内容の《大観本草》(1108刊)は完本が残っているため,そのなかから失われてしまった前代の書の内容を類推することができる。《政和本草》と《大観本草》はその後も長く用いられたが,明末の1596年ころに李時珍が《本草綱目》を著してからは重視されなくなり,本草書といえば《本草綱目》が代表するようになった。…
※「《大観本草》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」