大輪田修築(読み)おおわだしゅうちく

世界大百科事典(旧版)内の大輪田修築の言及

【港湾】より

… 一方,大陸へは当初は難波津を出発地とし,九州の坊津を経て向かっていたが,都が平安京に移ってからは大輪田から出るようになった。しかし,大輪田は泊程度の機能しかもっておらず,12世紀,平清盛はこの地を大陸との交易の拠点としての津にすべく,経ヶ島(その名は石の前面に一切経の経文を書いて沈めたことにちなむという)築島による大輪田修築を行い,その一方,政治,経済の中心地との直結をはかり,背後の福原に都を移そうとしたのである。一般に貿易港としての津は,他国との交流が繁しい一方,外敵の侵入や雑居の影響を受けやすい欠点があり,このため権威の集中する都宮は津から離れて置かれるのが通例であったことを考えると,福原遷都は短期間ではあったが,清盛の意図は近代の港湾の考え方に近いものであったといえる。…

※「大輪田修築」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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