世界大百科事典(旧版)内の大阪北港の言及
【住友財閥】より
…住友は精錬施設を四阪島に移したが効果なく,長い間公害紛争が続き,昭和期に新技術の開発で解決するまで賠償金を支払い続けた。大正末期から昭和初期にかけては,信託,生命保険,電力,ビル,大阪北港,損害保険などを傘下事業に加え,総合財閥の形を整えた。これにより財閥内での別子銅山の地位は相対的に下がり,銀行が抜群の地位を誇り,製造部門の比重がしだいに高まった。…
【住友商事[株]】より
…住友グループの中核商社。1919年大阪港北接地域の開発と同地域の新港築造を目的として設立された大阪北港(株)が前身。この大阪北港は,44年(株)住友ビルディングとの合併により住友土地工務(株)と改称され,住友財閥の不動産部門となった。…
※「大阪北港」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」