世界大百科事典(旧版)内の天下分け目の戦の言及
【関ヶ原の戦】より
…1600年(慶長5)9月,徳川家康の率いる東軍と石田三成の率いる西軍が美濃関ヶ原で行った合戦。全国のほとんどの大名がまき込まれたこの合戦に勝ったことで,家康は事実上全国の支配者となり,さらに3年後に征夷大将軍となったので,〈天下分け目の戦〉ともいわれる。
[原因]
1598年8月の豊臣秀吉死後の政権は,家康を筆頭とする五大老と三成を筆頭とする五奉行によって運営されることとなった。…
※「天下分け目の戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」