天明狂歌三大家(読み)てんめいきょうかさんたいか

世界大百科事典(旧版)内の天明狂歌三大家の言及

【唐衣橘洲】より

…江戸後期の狂歌師。本名小島源之助,初号橘実副,別号酔竹庵。徳川田安家の臣。江戸四谷忍原横町住。牛込加賀町の内山賀邸の門に学ぶ。その師の影響もあって,明和末年四方赤良(よものあから),平秩東作(へずつとうさく)らと自宅に狂歌会を催し,天明狂歌流行の端緒を作った。赤良,朱楽菅江(あけらかんこう)とともに天明狂歌の三大家といわれた。1783年(天明3)《狂歌若葉集》刊,社中を酔竹側(すいちくがわ)と称し,温雅な作風を主張したが,奇知奔放な赤良に圧倒された。…

※「天明狂歌三大家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む