世界大百科事典(旧版)内の天明狂歌三大家の言及
【唐衣橘洲】より
…江戸後期の狂歌師。本名小島源之助,初号橘実副,別号酔竹庵。徳川田安家の臣。江戸四谷忍原横町住。牛込加賀町の内山賀邸の門に学ぶ。その師の影響もあって,明和末年四方赤良(よものあから),平秩東作(へずつとうさく)らと自宅に狂歌会を催し,天明狂歌流行の端緒を作った。赤良,朱楽菅江(あけらかんこう)とともに天明狂歌の三大家といわれた。1783年(天明3)《狂歌若葉集》刊,社中を酔竹側(すいちくがわ)と称し,温雅な作風を主張したが,奇知奔放な赤良に圧倒された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」