世界大百科事典(旧版)内の天満組の言及
【天満】より
…大坂夏の陣後の1615年(元和1)大坂城主となった松平忠明は,大坂市中および近接村落の諸寺院を小橋村,東西高津村と天満村に集め,天満村に西寺町,東寺町をつくり,翌年川崎に東照宮を創建した。このころの天満はまだ大坂市中ではなかったが,29年(寛永6)ごろには天満組となり,惣会所が設けられて,北組および南組とともに大坂三郷と総称されるようになった。町数は三郷のなかでは最も少なく,51年(慶安4)で60町,95年(元禄8)で71町,1780年(安永9)ごろには109町であった。…
※「天満組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」