世界大百科事典(旧版)内の太田・岩井ラインの言及
【総評】より
…国労出身)は太田薫(1958‐66総評議長。合化労連出身)とともに総評を指導,〈太田・岩井ライン〉と呼ばれて高度成長時代の労働運動を代表するものとなった。ところで,こうした総評の政治路線や国際組織加盟方針の変更を批判する全日本海員組合や全繊同盟(現,ゼンセン同盟)などは総評を脱退し,これらが母体となって後の全労会議(全日本労働組合会議),同盟(全日本労働総同盟)へと展開していった。…
【労働運動】より
…春闘は,産業別統一闘争をふまえてナショナル・ワイドの賃上げ共闘を組織しようとするもので,単産ごとに賃上げ要求額の統一を図り,参加単産の闘争時期をそろえて春季にいわゆるスケジュール闘争を組み,産業別統一ストの力でもって要求の貫徹を図ろうとするものであった。 太田・岩井ラインの登場は,〈ぐるみ闘争〉から〈産業別統一闘争〉への転換を図ったという意味では,明らかに総評運動の路線転換を示すものであったが,その運動の性格には高野総評との連続面も強くみられた。実際,総評は,軍事基地反対闘争,勤評闘争,警職法反対闘争,さらには安保改定阻止闘争など,サンフランシスコ体制の強化に抗して〈平和と民主主義〉を旗印とする国民運動を組織していった。…
※「太田・岩井ライン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」