国指定史跡ガイド 「太田方八丁遺跡」の解説
おおたほうはっちょういせき【太田方八丁遺跡】
⇒志波城跡(しわじょうあと)
…志波城は,胆沢城と同じく蝦夷経営の功のあった坂上田村麻呂が造志波城使となり803年(延暦22)に造られた。現在その遺跡は,旧岩手郡内の盛岡市の太田方八丁遺跡とすることに大きな異説はない。それ以前は盛岡以南の紫波郡内に求められ,また志波城の後身である徳丹城より北に位置するとは考えられないなど,擬定地は定まっていなかった。…
※「太田方八丁遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...