世界大百科事典(旧版)内の《太陽諸国諸帝国》の言及
【シラノ・ド・ベルジュラック】より
…54年に奇抜な比喩を多用した,想像力あふれる書簡集や,モリエールに多くの影響をあたえたといわれる散文喜劇《かつがれた衒学者》を含む最初の《作品集》を刊行し,またきわめて力強い5幕韻文の悲劇《アグリッピーヌの死》を発表したが,その翌年パリ近郊で没した。 代表作《別世界または月世界諸国諸帝国》(1657),《太陽諸国諸帝国》(1662)が出版されたのはその死後のことであり,さらに20世紀になって前者の未削除手写本が刊行されるに及んで,重要な自由思想家としての相貌がようやく明らかになるにいたった。すなわち,この遺作の日月両世界旅行記は,SF(空想科学小説)めいた枠組みや17世紀の〈滑稽(こつけい)物語〉の体裁をとりながらも,その中に盛られたものは,家父長制社会やキリスト教の禁欲道徳の批判,天動説とこれに支えられた人間中心主義の破壊,キリスト教の主要な教理である神の摂理や霊魂不滅などの否定である。…
※「《太陽諸国諸帝国》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」