世界大百科事典(旧版)内の夫食普請の言及
【武蔵野新田】より
…幕府は新田出百姓に対し農具料,家作料などの補助金を与えたが,他方では年貢取立ても厳しく,そのため新田はなかなか安定しなかった。39年川崎平右衛門(元来は武蔵国多摩郡押立村(現,府中市)の名主)が新田世話役に就任して〈夫食(ぶじき)普請〉(一定の食糧を与えて土木工事に従事させること)などの保護政策を打ち出し,以後しだいに安定におもむいた。新田の土壌は関東ローム層の赤土で耕作に適さなかったが,農民は大量に灰や糠(ぬか)を投じて赤土を肥沃な黒土に変え,明和(1764‐72)ごろからようやく生産(麦,アワ,ヒエ,大豆などの雑穀)が向上し,やがてその生産力は周辺古村をしのぐようになり,関東地方では珍しく人口増大の一途を歩んだ。…
※「夫食普請」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」