世界大百科事典(旧版)内の夷屋平蔵の言及
【賀茂川∥鴨川】より
…こういったにぎわいの一方で,京都の都市化が進んだ元禄年間(1688‐1704)ころには,塵芥の投棄所となり,鞍馬口,今出川口などの河畔に幕府の塵芥投棄禁止の高札が建てられており,さらに同じころ,死体が数多く埋められてもいたという。また江戸時代中ごろには,上京室町頭の夷屋平蔵が大坂の道頓堀で鴨川の水を桶に入れて販売したが,その効能として,鴨川の水は美味で,〈手水の湯に用れバ,はだへを濃かにし,色を白くし,一切の瘡腫を生ぜず……〉としており,鴨川の水の良質なことが広く知られていたことがうかがえる。【樋爪 修】。…
※「夷屋平蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」