朝日日本歴史人物事典 「奥平忠弘」の解説
奥平忠弘
生年:寛永8(1631)
江戸前期の譜代大名山形藩主。姫路城主(18万石)松平忠明の嫡子。幼名鶴松丸。正保1(1644)年家督を継ぎ,姫路15万石城主となる。慶安1(1648)年山形藩(15万石)に転封。承応2(1653)年12月従四位下,下総守に叙せられ,のちに父忠明同様,侍従に任ぜられた。寛文8(1668)年下野国(栃木県)宇都宮へ転封となり,さらに延宝9(1681)年奥州白河藩(福島県)に転じている。『土芥寇讎記』によれば,忠弘は生来,愚昧で勉学も好まなかったので,20歳ごろまでは取りえのない闇将であったが,壮年になると少し智も優れてきたと評している。<参考文献>『山形市史』中
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報