世界大百科事典(旧版)内の奴隷制反対協会の言及
【ウィルバーフォース】より
…しかし,その後もねばり強く運動を続け,1807年ついに同法を成立させた。だが,彼自身はほんらい奴隷制そのものの廃止にはむしろ反対であったから,以後の奴隷解放運動では,23年にバクストンを中心に結成された〈奴隷制反対協会〉の副会長となった以外は目立った活動をしなかった。彼の運動を支えたのは〈クラッパム派Clapham Sect〉ないし〈聖者たちthe Saints〉として知られる福音主義的セクトの信仰であった。…
【奴隷廃止運動】より
…イギリス,フランス両国と比べて最も大きな相違はこの点であり,奴隷制廃止はアメリカの場合いっそう困難な状況にあったといえる。 植民地時代からクエーカー教徒をはじめ宗教的な立場から奴隷制に反対する気運はあったが,すべて個人的運動にとどまり,本格的な組織ができたのは1775年で,B.フランクリン指導のもとでフィラデルフィアに結成された奴隷制反対協会が初めである。それから18世紀末までの間に,南部の一部をも含む8州に奴隷制反対協会がつくられ,94年には各代表がフィラデルフィアに集まって会議を行った。…
※「奴隷制反対協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」