世界大百科事典(旧版)内の如意輪観音像の言及
【平安時代美術】より
…それは諸像中の4菩薩と梵天像によって証明される。 この系統の造像は,これに次ぐ時期の作品である神護寺の五大虚空蔵菩薩像から大阪観心寺の如意輪観音像にいたって最高の結果を生み,京都安祥寺の五智如来像が造られた859年(貞観1)には早くも質をおとしはじめており,887年(仁和3)の金剛峯寺西塔の大日如来像や888年の仁和寺の阿弥陀三尊像になると,前記の一木彫像の作風とあまり区別をつけにくくなっている。それはこれらの木心乾漆造的な技法が根本的には一木彫像の範疇にあり,表現の上に遺っていた奈良時代の伝統的な調和と柔軟性が一木彫像の風に凌駕されていったためと思われる。…
※「如意輪観音像」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」