妙法院焼討ち(読み)みょうほういんやきうち

世界大百科事典(旧版)内の妙法院焼討ちの言及

【佐々木高氏】より

…とはいえ,その過程は容易ではなかった。40年(興国1∥暦応3)には有名な妙法院焼討ち事件をおこして嫡男秀綱とともにいったん配流され,南朝軍との合戦の中で秀綱やその子秀詮を失うなどの痛手もうけた。観応の擾乱(じようらん)に代表される幕府の内訌には主として尊氏・義詮側にたったが,南朝から尊氏,直義,義詮追討の綸旨(りんじ)をうけて尊氏軍と陣をかまえたこともある。…

※「妙法院焼討ち」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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