世界大百科事典(旧版)内の姚僧垣の言及
【医者】より
… 民間の医者の養成は個人教育や世襲によっていたが,特別な資格は要求されなかった。後世まで名医として知られている人は,医官のなかでは王叔和や王惟一程度で,民間人のほうが多く,それらの人は華佗(かだ)や姚僧垣(ようそうえん),孫思邈(そんしばく)などのように貴人や官吏の治療にも当たった。しかし医官の最高位が各省の副長官の下程度であったように,医者の社会的地位は低く,とくに職業としての医療行為は低い評価しか受けなかった。…
※「姚僧垣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」