孔丘(読み)コウキュウ

世界大百科事典(旧版)内の孔丘の言及

【孔子】より

…中国,春秋時代の思想家。名を丘,字を仲尼といい,の陬(すう)(山東省)の生れ。その73歳の生涯は,周王朝の支配体制がくずれ,諸侯の対立抗争する春秋末の動乱期に過ごされている。当時,魯国でも君主の威権は地に落ち,季孫氏・孟孫氏・叔孫氏という3公族が政治を専断していた。さらに3公族のうちもっとも強力な季孫氏では,家臣の陽虎が権勢をふるい,下剋上の様相さえあった。 幼いとき父に死別した孔子は,貧困と苦難のなかに育った。…

【孔子批判】より

…そこでは,孔子は変革と進歩に反対し復古と退歩に固執した〈頑迷な奴隷制擁護の思想家〉〈反革命のイデオローグ〉というレッテルが貼られた。孔子の呼び名も,先生を意味する〈子〉をとり去り〈孔丘〉と呼びすてされ,さらには〈孔老二(孔家の次男坊)〉という蔑称があたえられた。と同時に,孔子批判を現代の歴史に適用しようという政治方針のもとで,孔子を崇拝したといわれる林彪もまた〈反革命のイデオローグ〉だと批判され政治的に抹殺されたのである。…

【人相学】より

…叔服を継いだ姑布子卿(こふしけい)は,一説に孔子の幼少期にその人相を観て,将来聖人となることを予言したとされる。このとき,幼児の頭頂部が凹んで孔となり,その周囲が隆起して丘となっていたので,後に孔丘と名のったという。 叔服,姑布子卿は骨相を重んじたが《荀子》非相篇にもたたえられた楚の唐挙(とうきよ)は気色を観ることを考案して,人相学をほぼ確立させた。…

※「孔丘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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