世界大百科事典(旧版)内の孝陵の言及
【清陵】より
…清朝歴代皇帝の陵墓群で,東陵と西陵にわかれる。東陵は北京市の北東約125kmの河北省遵化県馬蘭峪付近にあり,孝陵(順治帝),景陵(康熙帝),裕陵(乾隆帝),定陵(咸豊帝),恵陵(同治帝)のほか,后陵4座,妃園寝5座を含み,皇帝5人,皇后15人,妃子136人を葬る。西陵は北京市の南西約120kmの河北省易県梁各庄にあり,泰陵(雍正帝),昌陵(嘉慶帝),慕陵(道光帝),崇陵(光緒帝)のほか,后陵3座,妃園寝4座を含み,皇帝4人,皇后9人,妃子27人を葬る。…
【南京】より
…開封の北京はやがて廃され,南京が正式に京師となったが,永楽帝のとき,元代の大都(今の北京)に遷都し,こちらは再び南京となった。明の国都としてはわずか52年を経たのみであるが,朱元璋の陵墓(孝陵)や建国功臣の陵など,明初にゆかりの遺跡が多い。また都城は南唐の金陵城の東と北を大きく拡大し,東部に宮城である紫金城を設け,さらに紫金山にも及ぶ巨大な外廓を建設した。…
【陵墓】より
…南宋は紹興を陵園の地としたが陵墓はなお未調査である。 明の太祖洪武帝の孝陵は陵墓を大きく改革した。(1)陵墓を方形から円形に改めた。…
※「孝陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」