宗資国(読み)そうすけくに

世界大百科事典(旧版)内の宗資国の言及

【宗氏】より

…出自については平知盛後胤説,対馬との関係では1245年(寛元3)宗重尚の阿比留(あびる)氏討伐説が流布していたが,現在は両説とも後世の捏造(ねつぞう)で,出自は大宰府府官惟宗(これむね)氏の武士化したものとされる。対馬との関係で確実・最古の人物は,1274年(文永11)のモンゴル襲来時に対馬で戦死した対馬国地頭代の宗資国である。鎌倉時代は大宰少弐氏が対馬国守護・地頭を兼ね,宗氏は地頭代として支配に関係し,南北朝期に実質的な支配者となり,同末期に守護に昇格した。…

【対馬島】より

…対馬と宗氏の関係について,1245年(寛元3)大宰府に従わない阿比留氏を宗重尚が追討し,ついで地頭代となったとする説が流布していたが,現在では後世の説話とされている。しかし74年(文永11)宗資国がモンゴル襲来のため対馬で戦死したこと,彼が対馬国地頭代だったことには明証がある。このころすでに宗氏は,対馬国守護兼地頭であった大宰少弐氏のもとで対馬支配に関係していた。…

※「宗資国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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