世界大百科事典(旧版)内の官大寺の言及
【寺院】より
…そののち7世紀,有力氏族がしだいに寺院を建立,624年(推古32)寺院数46を数えたといい,四天王寺式,法隆寺式などと呼ばれる七堂伽藍の堂舎(伽藍配置)を整えた古代寺院が営まれだした。だが,律令体制下に入ると,これら氏族の寺院の多くに国家の統制や保護が加えられて官寺化がすすみ,僧尼法や寺院法が発布され,692年(持統6)国家が保護下においた寺院は945ヵ寺に達し,政府はそのうち中央にある数寺を官大寺に指定した。官大寺は国家から特別の待遇をうけて,しだいにその数もふえ,《延喜式》では東大,興福,元興(がんごう),大安,薬師,西大,法隆,新薬師,本元興,招提,東,西,四天王,崇福,弘福の15寺を数え,地方諸国の官寺,すなわち国分寺,国分尼寺とともに律令国家鎮護の祈念をおもな任務とした。…
※「官大寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」