宮兼信(読み)みやかねのぶ

世界大百科事典(旧版)内の宮兼信の言及

【宮氏】より

…藤原氏小野宮流と伝え,備後一宮の社家と同族と推測される。《太平記》には船上山(せんじようさん)に馳せ参じた備後武士に宮氏を伝え,1342年(興国3∥康永1)伊予南軍を襲撃した足利尊氏方軍勢に宮兼信の参加を記す。一方46年(正平1∥貞和2)以降に幕府使節にあてられた宮盛重があり,観応の擾乱(じようらん)には足利直冬(ただふゆ)に与(くみ)し,やがて尊氏方に復帰したが,兼信は終始尊氏方で一時備中守護に任じられた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」