世界大百科事典(旧版)内の宮古路浄瑠璃の言及
【豊後節】より
…《宮古路月下の梅》《宮古路大寄蔵》など宮古路を頭におく各種の正本類もすべて同じである。これらを総称して,宝暦・明和(1751‐72)のころは〈国太夫節〉あるいは〈宮古路浄瑠璃〉(ともに,もとは豊後掾を名のる以前の宮古路国太夫半中が上方で語った浄瑠璃の称)といい,天明(1781‐89)以降は〈豊後節〉あるいは単に〈ぶんご〉といい,幕末まで行われた。その一部は5世都一中の時代に江戸の一中節に移され,現存している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」