世界大百科事典(旧版)内の《宮女たち》の言及
【自画像】より
…しかしこれは,新興国オランダの市民社会において初めて可能であったことと思われる。すなわち,ほぼ同時期のスペインの宮廷画家ベラスケスは《宮女たち》(1656)を,制服姿で作画中の自身を立たせた〈アトリエ図〉として描き,またカトリック圏ネーデルラントの画家ルーベンスやファン・デイクはいずれも貴族としての顕示的な姿において自画像を描き,レンブラントに見る自己とのひたむきな対決の姿勢は見られない。その一方,18世紀後半以降市民社会が確立し,職人組合や宮廷からもしだいに独立した芸術家は,自己の特殊性を強調する形で自画像を描き,それはときにはボヘミアン的または自虐的な姿をさえ示すようになる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」