富木常忍(読み)とき・じょうにん

朝日日本歴史人物事典 「富木常忍」の解説

富木常忍

没年:正安1.3.20(1299.4.21)
生年:建保4(1216)
鎌倉後期の日蓮宗の僧。日蓮の初期からの有力檀越(信者),中山門流の開祖俗名は常忍,法名は常忍日常と号す。本拠地は因幡国(鳥取県)法美郡富城郷で父の代に関東移住した。下総国(千葉県)八幡荘谷中郷に在住し日蓮と鎌倉で出会う。以後日蓮に帰依し,識字能力が高いことなどから,『観心本尊抄』(国宝)の閲読と保管を委ねられた。佐渡流罪の難にあう師日蓮を物心の両面から支援し,子日頂 も入門させた。晩年,日頂との間に乖離が生じ,谷中郷若宮の持仏堂を法華寺とし,日蓮の教えを弘通(布教)するかたわら,遺文収集と保存に務めた。<参考文献>中尾尭『日蓮宗の成立展開

(佐々木馨)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富木常忍」の解説

富木常忍 とき-じょうにん

富木日常(とき-にちじょう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の富木常忍の言及

【日常】より

…中山法華経寺(現,千葉県市川市)の開山。もとの名を富木常忍(ときじようにん)という。常忍は下総国守護千葉頼胤の家臣であった。…

【法華経寺】より

…一般に中山法華経寺または中山の鬼子母神とも呼ばれている。当寺は,日蓮の檀越(だんおつ)の富木常忍(ときじようにん)(日常)が出家して,邸を寺とした法華寺と,同じく日蓮の帰依者である大田乗明(じようみよう)の邸跡に建てられた本妙寺とからなり,両寺一主制がとられていたが,戦国時代に合体して法華経寺となった。大寺院としての基礎を確立したのは南北朝期の初めで,千葉胤貞流一族の保護のもとに,3代の日祐(にちゆう)(1298‐1374)が目覚ましい伝道活動を展開したことによる。…

※「富木常忍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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