朝日日本歴史人物事典 「富田越後守」の解説
富田越後守
生年:永禄7(1564)
安土桃山・江戸前期の武将,剣客。名は重政。前田利家の家臣山崎景邦の3男で,のち中条流を祖流とする富田流剣術の始祖富田景政の養子となり,自らも名を景政ともいった。通称与六郎,六左衛門,さらに治部左衛門,大炊と称し,慶長1(1596)年,従五位下・下野守に叙任,のち越後守と改め,「名人越後」といわれた。養父景政から剣を習い,前田利家,利長,利常の3代に仕え,特に天正12(1584)年の能登国末森の戦,同18年の小田原攻めのときの八王子城の戦で戦功をあげ,関ケ原の戦,大坂の陣にも参陣した。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報