寛城子(読み)かんじょうし

世界大百科事典(旧版)内の寛城子の言及

【長春】より

…京哈線(北京~ハルビン)と長図線(長春~図們),長白線(長春~白城市)の分岐点にあたる。清末,漢族移住者が増加したため1800年(嘉慶5),現在の市の南郊にあたる長春堡に長春庁を置いたが,25年(道光5),寛城子(現在の長春市)に治所を移したのが始まりで,88年(光緒14)には長春府に昇格,1913年県となり,32年日本の傀儡(かいらい)政権の〈満州国〉誕生に伴い,その〈首都〉として新京と名づけられ,市制を敷いた。これより先1906年日露戦争後,日本が南満州鉄道(満鉄)経営に乗り出した結果,長春は日露の鉄道権益の境界となり,08年日本はここに満鉄付属地を設け,また10年旧市街との間に商埠地を開いた。…

※「寛城子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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