世界大百科事典(旧版)内の寛永の三輔の言及
【青山忠俊】より
…大坂の陣では勇戦し武将としての名を挙げた。のち,酒井忠世,土井利勝とともに家光を補佐し(寛永の三輔),1616年(元和2)老中となる。忠俊は家光補佐役としてしばしば諫言したためか左遷され,相模国今泉に蟄居中死去。…
※「寛永の三輔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...