世界大百科事典(旧版)内の対満文化事業の言及
【中華民国】より
…その一環として,関東州,満鉄付属地内で日本経営の中国人学校教育が進められたが,1923‐24年には,中国ナショナリズムの立場を鮮明にする教育権回収運動が起こった。中国ナショナリズムに敵対して,日本が満州事変を起こし,〈満州国〉を建国してからは,〈日満一体〉の体現として〈対満文化事業〉(1932成立)によりさまざまな文化交流事業が実施された。昭和10年代には,満鉄調査部,東亜研究所などの調査機関や大学の研究者による現地調査もさかんに実施されて,日本の当代を対象とする中国研究は世界一ともいえる水準に達したが,日本人が伝統的に抱いていた中国文化崇敬の念はその間にほとんど消失した。…
※「対満文化事業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」