寿昌派(読み)じゅしょうは

世界大百科事典(旧版)内の寿昌派の言及

【曹洞宗】より

…次に,真歇清了と兄弟弟子の宏智正覚(わんししようがく)の法系の東明恵日(えにち)(1272‐1340)や東陵永璵(えいよ)によって伝えられた,宏智派と通称される曹洞宗の一派があり,円覚寺や建仁寺を中心に五山文学界に重きをなし,また越前朝倉氏の外護を得て隆盛を誇ったが,朝倉氏の滅亡によりその法灯も絶えた。最後に,丹霞子淳と同門の鹿門自覚の系統で,1677年(延宝5)に日本に来朝した心越興儔(しんえつこうちゆう)(1639‐96)によって伝えられた曹洞宗の一派があり,徳川光圀の帰依を得て水戸祇園寺を中心に教線を展開し,曹洞宗寿昌派と称されたが,その法灯も数代にして絶え,祇園寺も道元派下の曹洞宗に編入された。【石川 力山】。…

※「寿昌派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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