小坂銅山(読み)こさかどうざん

世界大百科事典(旧版)内の小坂銅山の言及

【鉱害】より

…住友財閥は当初は煙害を否定したが,10年に至り,農商務大臣の斡旋のもとで処理鉱量の制限を含む賠償契約を締結,この契約は39年に亜硫酸ガスの中和施設が完成して被害が激減するまで,10次にわたる更改を通じて効力を維持した。秋田の小坂銅山でも1902年の新製錬所の稼働とともに煙害が激しくなり,地元の各自治体が次々と煙害反対の姿勢を示す中で,09年に賠償協定が締結された。こうした一連の煙害事件において,防止対策としてある程度の成功を収めたのは,14年に日立鉱山で完成した155.7mの高煙突を山頂に建設する方式や,四阪島での鉱量制限および排煙からの硫酸製造による亜硫酸ガスの回収,各鉱山で実施された電気集塵器などである。…

※「小坂銅山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」