朝日日本歴史人物事典 「小栗正信」の解説
小栗正信
生年:天正17(1589)
江戸前期の幕臣。小栗流和術の創始者。通称仁右衛門。徳川家康の家臣小栗忠政の次男。三河国(愛知県)生まれ。元和2(1616)年父の死去により采地の武蔵国足立郡(埼玉県)のうち550石を得,将軍徳川秀忠に仕えて小姓組番士となり,寛永10(1633)年に200石を加増された。武術を好み,特に和術に重きをおく一流(小栗流)を開いた。柔術といわずに和術と称したのは,「和の道は万物転変の理を一身の動静によって知るもの」としたためで,なかでも「鞠身」は身体を鞠になぞらえた秘術で,当時は流儀の通称ともなった。山鹿素行も門人のひとりといわれるが,朝比奈可長(土佐藩士)によって同流はとりわけ土佐に広まった。没日を7月14日とする説もある。<参考文献>今村嘉雄他編『日本武道全集』5巻
(加来耕三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報