世界大百科事典(旧版)内の小田県の言及
【岡山[県]】より
…翌年勝山藩は真島藩,松山藩は高梁(たかはし)藩と改称した。71年廃藩置県をへて美作の諸県は北条県,備中の諸県は備後の福山県とともに深津県(翌年小田県と改称)に統合された。岡山県は75年小田県を,76年北条県を統合するとともに旧福山県を広島県に編入して,現在の県域となった。…
【笠岡[市]】より
…瀬戸内海航路の港として古くから繁栄し,現在も笠岡諸島や四国と結ぶ航路がある。1872‐75年(明治5‐8)の間は小田県庁所在地で,当時の県庁の門や掘割が現存する。明治以後は製糸,紡績で近代工業が始まったが,現在繊維工業は衰退し,神島(こうのしま)の化学肥料工業,隣接する福山市の鉄鋼コンビナートの一部が主要工場である。…
【広島[県]】より
…1868年(明治1)5月神石郡1村と旧天領の甲奴(こうぬ)郡12ヵ村が新設の倉敷県に編入され,71年の廃藩置県の実施に伴い各藩はそれぞれ同名の県となって,芸備両国は広島県,福山県,中津県の一部,倉敷県の一部に分かれた。同年11月の府県統廃合に際し,中津・倉敷両県下の甲奴郡は広島県へ移管され,それ以外の地域は福山県と合併して新置の深津県(1872年小田県と改称)となった。75年小田県はいったん岡山県に編入されたが,翌76年備後国6郡が広島県へ移管され,現在の県域が確定した。…
※「小田県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」