《小説総論》(読み)しょうせつそうろん

世界大百科事典(旧版)内の《小説総論》の言及

【二葉亭四迷】より

…1881年から86年までの在学中に19世紀ロシア文学に目を開かれ,文学の意義と社会的役割を自覚した。86年1月,当時新文学の旗手と見られていた坪内逍遥をたずね,文学観を披瀝して逍遥に衝撃を与え,そのすすめで評論《小説総論》(1886)や《浮雲》(1887‐89)を発表。後者は言文一致体によるリアリズム小説の野心作だったが,第3編に難渋して創作の自信を失い,89年から内閣官報局雇員となって海外の新聞・雑誌の翻訳に従事。…

【文芸批評】より

…チェンバー兄弟編の百科全書の文学項目(Rhetorics and Belles Lettres)が菊池大麓によって《修辞及華文》(1879)として訳され,また《新体詩抄》(1882)の序文が詩論の発端を示すなどして,やがて坪内逍遥《小説神髄》(1885‐86)が出て近代文芸評論は成立する。このリアリズム小説論は,二葉亭四迷〈小説総論〉(1886)の虚構理論に発展し,明治20年代にいたって坪内逍遥と森鷗外との論争などを通じて,文芸批評は時代の文学への指導的役割を確立する。だが文学が他の諸価値から自立した世界を形づくり,かつそれが文学者の内心の思いの表現であることを表明したのは北村透谷であり,透谷を含む《文学界》グループが西欧近代のロマン主義の移植を媒介として近代的な文学観を確立したとみられる。…

※「《小説総論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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