少論派(読み)しょうろんは

世界大百科事典(旧版)内の少論派の言及

【党争】より

…西人の宋時烈らは朱子学の批判・修正をいっさい認めず,反対派に反逆者,賊臣の烙印を押して処刑したりしたため,党争ははげしさを増した。西人は83年に老論派(宋時烈派)と少論派(反宋時烈の少壮派)に分裂したが,1721年に少論派が権力を掌握した一時期を除き,以後,大院君政権成立(1863)前まで,西人の老論派が政界を支配した。英祖(在位1724‐76)は少論派も登用,正祖(在位1776‐1800)も南人を登用して党争の緩和を図った(蕩平策)。…

※「少論派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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