尚友会(読み)しょうゆうかい

世界大百科事典(旧版)内の尚友会の言及

【貴族院】より

…また研究会も政友会に接近した堀田正養を除名して統制を強化した。堀田除名に先だち政友会も,研究会の子爵議員選挙母体である尚友会に対抗するために,子爵談話会を結成したが,1911年の三爵議員総改選時までに談話会に参加した子爵は73人で,尚友会の229人にはまったく及ばなかった。このためこの総改選では研究会が子爵議員70人中の66人を当選させ,子爵議員を完全に独占した。…

【研究会】より

…結成当時の幹部は,伯爵大原重朝,子爵京極高典,同加納久宜,同山内豊誠,同鍋島直虎,同堀田正養で,1892年11月の第4議会開会当時には70名の議員を擁していた(侯爵1,伯爵6,子爵26,男爵10,勅選12,多額納税者15)。同会は92年7月に選挙母体として尚友会を組織したが,伯・子・男三爵議員の互選が完全連記制であったために,補欠選挙や総改選のたびに,この尚友会は威力を発揮した。97年の第2回総改選では子爵議員70名中の45名を,1911年の総改選では70名中の66名を当選させている。…

※「尚友会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」