世界大百科事典(旧版)内の山下汽船の言及
【海運業】より
…とくに三井物産は一時郵船や商船の運航船腹量の倍近い船腹を運航し,また社外船船腹量は終戦時社船船腹量の倍近くに増大していた。 それのみでなく,山下汽船(1917設立。現,山下新日本汽船)など一部社外船主は他の社外船から用船してみずから遠洋航路での運航に乗り出しており,大戦中川崎造船所が大量建造したストック・ボートを引き受けて戦後に設立された川崎汽船や国際汽船(ともに1919設立)も大手社外船オペレーターの戦列に加わった。…
【造船疑獄】より
…計画造船などをめぐる政官財界の大規模な贈収賄事件。1954年1月,東京地方検察庁は山下汽船会社の家宅捜索を行い,同社幹部2名,同社長,運輸省官房長らを逮捕した。その容疑は,1953年度の計画造船(37隻445億円,うち財政融資266億8000万円)の適格船主選考,同年の外航船舶建造融資利子補給および損失補償法の制定をめぐって,海運業界,造船業界と政官界との間に行われた贈収賄であった。…
※「山下汽船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」