世界大百科事典(旧版)内の山崎半蔵の言及
【氏家[町]】より
…南西端にある上阿久津は明治期まで鬼怒川舟運の終点として栄えた。宇都宮藩家老山崎半蔵によって1656年(明暦2)鬼怒川から取水する市ノ堀用水が開削されてから水田が開け,現在も総面積に占める耕地の割合が高い。水田単作地帯であったが,近年は野菜や花卉の施設園芸が増えている。…
※「山崎半蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…南西端にある上阿久津は明治期まで鬼怒川舟運の終点として栄えた。宇都宮藩家老山崎半蔵によって1656年(明暦2)鬼怒川から取水する市ノ堀用水が開削されてから水田が開け,現在も総面積に占める耕地の割合が高い。水田単作地帯であったが,近年は野菜や花卉の施設園芸が増えている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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