山彦新次郎(読み)やまびこしんじろう

世界大百科事典(旧版)内の山彦新次郎の言及

【菅野序遊】より

一中節菅野派の家元名。(1)初世(1756‐1823∥宝暦6‐文政6) 前名3世山彦新次郎。河東節の三味線方であったが,5世都太夫一中と結んで文化(1804‐18)末ごろ菅野序遊となり,古曲の復活につとめるとともに40曲近い新作を作曲した。…

【都太夫一中】より

…1781年(天明1)ごろ江戸に下り,92年(寛政4)5世をつぐ。河東節の三味線方3世山彦新次郎(のち初世菅野序遊)と組んで,すたれていた一中節を再興,古い曲を整理し,多くの新曲を作った。一中節の中興の恩人。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」