朝日日本歴史人物事典 「山県武一郎」の解説
山県武一郎
生年:文政7.11.15(1825.1.3)
明治初期の広島県芸備十六郡一揆の指導者。本名は森脇治政。屋号は西本屋。山県武一郎は通称。山県郡有田村(千代田町)の農民。持高は,万延1(1860)年1.378石。隣村の国学者井上頼定に学び,和歌を詠んだ。また剣術も習う。武一郎のとき家業の旅籠屋,煙草屋をやめ,寺子屋を開き,心学を教えた。明治4(1871)年8月4日,廃藩置県により旧領主の一行が東京移住のため広島城を出発しようとすると,哀訴,惜別の民衆が取り囲み,延期となった。8月9日説諭中の県官が襲撃されて新たな局面に入り,11日村役人宅が打ちこわされた。13日には県下全域に展開し,打ちこわし軒数199。県は兵力による鎮圧を行い,10月初旬に至って鎮静した。武一郎は,「御藩内十六郡百姓共」の名による嘆願書を起草したと伝えられ,一揆首謀者と目されて,梟首に処せられた。ゆえにこの一揆を武一騒動とも称している。<参考文献>名田富太郎『広島県武一騒動録』
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報