山陰道節度使(読み)さんいんどうせつどし

世界大百科事典(旧版)内の山陰道節度使の言及

【節度使】より

…その任務は,軍団の武具の整備,兵士の徴発,兵船の建造等であり,おそらく当時の対新羅関係の緊張に対処し,武備を強化することを目的としたと考えられる。《正倉院文書》中の天平6年出雲国計会帳によって,備辺式を定め,烽(とぶひ)を置き,弩(機械仕掛けの大弓)の製造を教習させ,歩兵・騎兵の教練を行うなどの,山陰道節度使の活動の実際が知られる。734年廃止されたが,761年(天平宝字5),唐における安史の乱を契機とした,藤原仲麻呂(恵美押勝)による新羅征討計画と関連して再置され,東海・南海・西海3道節度使が置かれて,兵士・兵船・水手等の徴発,陣法の訓練,武器の製造等にあたった。…

※「山陰道節度使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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