世界大百科事典(旧版)内の岡崎家の言及
【勧修寺家】より
…藤原氏北家から出た公家。中世の文献には〈くわんしゆし〉とも表記する。醍醐天皇の外祖父内大臣藤原高藤を始祖とする。高藤の男右大臣定方の建てた京都山科の勧修寺(かんしゆうじ)を一門の氏寺とし,一門中官位第一の者を長者として結束したので,この寺号が一門の総称となった。院政時代に入って,為房・顕隆父子が白河院近臣として活躍してから急速に繁栄し,代々太政官の弁官に任ぜられる一方,上皇や摂関に仕えて院中,家中の実務をとり,弁官家とか名家とよばれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」