世界大百科事典(旧版)内の崇福司の言及
【元】より
…
【文化】
元朝治下に維持された色目人社会とは,彼ら本俗に基づく独自の文化圏そのものであっただけに,当然そこでは言語なら主としてイラン語,トルコ語,文字はアラブ文字,ウイグル文字,宗教はイスラム教,ラマ教,キリスト教などがそれぞれ爾余の生活文化一般を伴って活用されていた。しかもその一部は元朝に採用され(上記の人頭税的田賦,公課の銀納制以外にウイグル文字,パスパ文字,ラマ教,回回暦法の採用がある),ないしは国家制度の対象ともなったのであるから(回回司天監,広恵司(回回薬物の修製),回回国子監,崇福司(キリスト教徒を管理する),回回哈的所(イスラム教徒を管理する),宣政院(ラマ教徒を管理する)),ある程度までそれがモンゴル支配層のあいだに浸潤していたはずであるが,こと中国人社会との接触となるとほとんどその痕跡が見当たらない。《輟耕録》が元末の杭州城内に居住する回回人についてその異様な婚礼儀式を特筆しているように,色目人の生活文化は中国人社会のそれとは隔絶していたわけである。…
※「崇福司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」